古い宿帳(やどちょう)の名前 田中さんは、山の中にある旅館(りょかん)に泊まりに来ました。 部屋に行く前に、ロビーで少し休むことにしました。窓の外には、きれいな庭が見えます。 テーブルの上に、一冊の古いノートがありました。昔、この旅館に泊まった人の名前が書いてある「宿帳」です。 田中さんがページをめくっていると、知っている名前を見つけました。 「田中一郎……。おじいちゃんと同じ名前だ。」 日付を見ると、四十年前の春でした。名前の隣には、祖父(そふ)が昔住んでいた家の住所も書いてありました。 「やっぱり、おじいちゃんだ。でも、どうしてここに……?」 そのとき、旅館の主人(しゅじん)が来ました。 「何か見つけましたか。」 「ここに祖父の名前があるんです。この旅館に泊まったことがあるなんて、知りませんでした。」 主人は宿帳を見て、少し考えました。 「田中一郎さん……。ああ、覚えていますよ。写真を撮るのが、とても上手な方でしたね。」 「はい! 祖父は今も、どこへ行くときもカメラを持っていきます。」 「そうですか。ちょっと待っていてください。」 主人は奥の部屋へ行き、古いアルバムを持って戻ってきました。 「この写真を見てください。」 写真の中では、若い祖父が庭の前に立っていました。首にはカメラをかけています。隣には、小さな男の子がいました。 「この子は、私です。」 「えっ、ご主人ですか。」 「ええ。おじいさんは、私にカメラの使い方を教えてくれたんです。この写真は、その後で父が撮りました。」 田中さんは、写真と窓の外の庭を何度も見ました。 池も、大きな石も、同じ場所にあります。でも、写真に写っている小さな木は、今では屋根より高くなっていました。 「この木、ずいぶん大きくなりましたね。」 「四十年ですからね。私も、すっかり大人になりました。」 二人は笑いました。 「祖父にも、この写真を見せたいです。スマートフォンで撮ってもいいですか。」 「もちろんです。」 田中さんは古い写真を撮ってから、庭に出ました。そして、祖父が立っていた場所に立ちました。 「同じ場所で、私の写真も撮ってもらえませんか。」 「ええ。では、笑ってください。」 主人は、スマートフォンで田中さんの写真を撮ってくれました。 部屋に戻ると、田中さんは二枚の写真を祖父に送りました。すぐに電話がかかってきました。 「この旅館にいるのか! 懐(なつ)かしいなあ。」 「うん。隣の男の子が、今は旅館のご主人なんだよ。おじいちゃんのこと、覚えていたよ。」 「そうか。あの子が……。」 祖父は少し黙ってから、うれしそうに言いました。 「もう一度、あの庭を見たいなあ。」 「じゃあ、今度は一緒に来ようよ。」 「ああ。カメラを持っていかないとね。」 田中さんは、もう一度二枚の写真を見ました。 次にここで撮る写真には、祖父と自分が一緒に写っている。 そう思うと、次の旅行が楽しみになりました。